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Happy birthday to Master Royce Gracie!

米国時間の本日12月12日、ホイス・グレイシー柔術ネットワークの創始者、マスターホイス・グレイシーの誕生日です。 Happy birthday My sensei, Master Royce!!! Thank you very much for guiding me and my school to the direction you are heading to. Jiu-Jitsu is not only a martial arts for me any more. It's my life from inside and outside. Life is good, as you always say. Thank you. 当時、大のプロレスバカだった代表 Max Masuzawaは、日本人のプレレスラー最強信者(ジャンボ鶴田最強説信者…)であり、日本の王道プロレス至上主義ではあったものの、格闘路線のプロレスラーも大好きでした。プロレスすべてを含めて大好きなプロレス頭でした。

昭和の戦後復興期から脈々と成熟してきた日本のプロレス界では、いわゆる格闘後路線のU系プロレス、中でも「トップ選手が秒殺される」というガチのガチ部分だけを見せる団体パンクラスが同93年に現れ、以降プロレスファンはザワザワせざるを得ない状況でした。 そのパンクラスでも間違いなく最強選手の一角であったケン・シャムロックの強さがほぼ圧倒的に封じられたのが、1993年、コロラド州デンバーで開催された第1回UFCでの衝撃のホイス・グレイシー戦。 この人が、世界の格闘技を一気に変えました。

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時は流れ、1998年の春、商社駐在員として赴任したロサンゼルス。犯罪都市とは聞いていたけれど、前任者や同じく企業駐在員コミュニティーから聞いた話しに加え実際に起こってしまった自分の部下の家族への悲劇など、着任早々恐怖におびえ、また英語の生活や新業務への適応によるストレス、食習慣の変化くわえて運動不足で体重は10キロ以上激増し、人と話すことが嫌になり駐在員のくせに引きこもりそうな状況に。 そんな時、通勤途中の街角で見かける見覚えのある「グレイシー柔術」の看板。 格闘技経験0だけどプロレス頭だけ発達していた自分には、やってみたいけど本音は怖くて、その一歩を踏み出すには多くのエネルギーが必要でした。 しかし思い切って飛び込んだグレイシー柔術アカデミー(TORRANCE)の内側には、分かりやすくて楽しいグレイシー柔術がありました。またその日に”あの”ホイス・グレイシーが練習している姿を見ることが出来ました! 本物のホイスは、練習中はタカのような鋭い眼光で、しかし練習を終えたところで体験レッスンに来た自分に握手してくれた時はめちゃくちゃ優しい笑顔でした。 これならできそうだ!その日に入会を決めました。経験一切なし、体力に自信がなくたってすぐに始められ、その日から効果を実感し、1週間続けたらもっと続けたくなり、それが1ヶ月後には体重も減少、筋肉質になり、英語での会話もどんどん増え自身が付き、さらにはセルフディフェンスのテクニックを知るほどに護身意識が高まり、犯罪都市ロサンゼルスでの生活にも少しづつ向き合えるようになりました。 さらにさらに時は流れ、2022年10月からは日本で初、唯一のホイス・グレイシー柔術ネットワーク道場となり、それから約1年半の運営経験を積み重ねたのち、30年前の1993年11月の第1回UFC大会での衝撃の優勝から、25年を経てかの地、デンバーで開催されたホイス・グレイシー柔術黒帯テストに合格し、ホイス師匠によって黒帯を授与してもらう栄誉を得ました。 どれだけ時間がかかったかではなく、自分はどこから始まり、どこに向かっていくか。それが確実に実感できています。その価値を誰よりも大切にしているのが私、増澤 Max 慶介です。 だから、ホイス・グレイシー柔術アカデミー東京のクラスは、ホイス・グレイシー柔術のカリキュラムを忠実に再現しております。ホイス師匠の父、グランドマスター、エリオ・グレイシー柔術のセルフディフェンスシステムをオリジナルに手を加えないで伝えています。

改めてホイス・グレイシー先生、どうもありがとう。これからも健康に、そして私と私の道場を導いてくれる存在でいてください。

ホイス・グレイシー柔術アカデミー東京

代表 Max Masuzawa


 
 
 

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